開高との出会いは「裸の王様」から始まり、ベトナムリポートを読み、
ノンフィクション「叫びと囁き」「言葉ある曠野」を経て同時代に生きる
私のオピニオンリーダーとしての位置を占めるようになりました。
そして「フィッシュオン」に出会う。
「名人と上手と鬼と巨匠の四人が超越的意欲にみちて雪の銀山へ、、、、。」
のフレーズに素人の私が釣りの世界に引きづり込まれ、海外へは行けないにしても
銀山湖ならと解禁にあわせて雪の奥只見に通うことになる。
その後、釣り雑誌の取材で開高のルアーBiteを作った常見忠さんの知己を得た。
巨大なキングの剥製が飾られ、ABUアンバサダーがさりげなく置かれたアトリエで
奥只見のイワナを守る会や開高のお話などをを伺った。おしくも先年、鬼籍に入られたが
鬼となって巨匠と再開されておられるだろうか? 合掌。
奥只見の魚を育てる会
釣師はやたらと会をつくる癖があり、それがまた分裂しやすいというのも特徴のようですが、今度、志ある人びとが集まって、
これだけはどんなことがあっても分裂させないぞという決意のもとに、次のような会を設立することになりました。
只見川は尾瀬を水源として出発し、沢山の渓流を集めつつ流れて大きくなり、銀山湖(奥只見湖)、大鳥ダム、田子倉湖など、いくつもの広大で深いダム群をつくり、今日までにおびただしい数の釣師を全国からひきよせました。その神話時代にはサケぐらいもあるイワナやニジマスがよく釣れたものでした。
けれど、神話は数年もたたないうちに衰えてしまいました。釣師の数が急増し、みんながぶったくりで釣りまくった結果、いまではネコの朝飯のような小魚しか釣れなくなりましたし、数もひどい激減ぶりです。山も川も荒廃の一途をたどるわが国の顔がまざまざと
見られます。
ここで行動にでなければ、と私たちは決心いたしました。湖と川をよく調査したうえで餌になる小魚を放流したり、毎年イワナやマス類の稚魚を放流したり、引数制限、体長制限をするなど、どこの国でもやっていることをやるまでのことなのですが、それを口さきでなく実践に移したいと思うのです。地元の奥只見の旅館組合や魚沼漁協銀山支部の人たちも声をそろえて賛同し、一つに大同団結して協力しようと申し出ておられます。
「賢者は海を愛し、聖者は山を愛す」という言葉もあります。四月下旬に発起人総会を開催いたしたく存じますが、御理解と御協力が頂けたらと存じます。これはとりあえずのごあいさつです。
昭和五十年四月三日 開高 健
夏場のキャスティングは難しいことは承知の上、漁師のようなトローリング
には目もくれずひたすら立ち続けた二日間。
忠さんからいただいた名作バイトも使わせて頂いた。泳ぎもしなやかで思った
より(失礼!)素晴らしい動きをしてくれた。
本命は釣れなかったが座職の私には良いリハビリになって壊れかけてる体に
刺激をあたえてくれた。感謝!